介護士シュカの読書メモ

認知症、介護の本etc... 読んでみた

『セックスと超高齢社会』

 

高齢者の恋愛、性欲についてはないもの、あってはならないものという意識が多くの人にある。しかしながら、1970年代に刊行された本には既に多くの高齢者が恋愛、性的欲求への葛藤を抱えながら、生きていることが示されている。巷に溢れる本では「死ぬまで現役」「女であり続ける」という謳い文句での出版物はあるものの、高齢期の性の一面を切り取り、商業的に成立するもののみが取り扱われているのみである。真に高齢者がどのような性的欲求を持ち、どのように対処するかということについては、周知されていない。

まず、高齢者にも性的欲求があるということを認識することがまず第一にあり、性器間の接触だけでなく、皮膚間の接触(スキンシップ)がもっとも大切という研究書も紹介されている。

第2章では「理想」と「現実」と題し、シニア婚活(現状はかなり厳しい)、夫婦間のギャップや満足度についての現状(夫婦間のスキンシップの少なさ、関係再構築についてもブランクがあれば難しい)や単身高齢者の事例を紹介しているが、現状はかなり厳しい状況と言える。

第3章では高齢者と若い女性の関係(今の言葉で言えばパパ活か経済的充実が得られている男性にのみ許されているといえる)、風俗、AVという男性側を取り巻く状況や、女性側ではグッズの使用やマッサージもあるという。まとめとして性的貧困へのサービス、コンテンツ利用への抵抗感や、2章で紹介した夫婦間の再構築の厳しさ等々を挙げ、次のようにまとめている。

非日常と日常の中間地帯に、緩やかに性的なものと触れ合い、語り合えるような居場所 が社会の中に増えて行けば、いくつになっても自分なりの仮のパートナーを見つけやすく なるはずだ。(中略)「老後の性生活はかくあるべき」という世間の固定観念や 偏見、そしてメディアが振りまく軽薄な幻想に惑わされてはならない。 たとえ他人や世間 からみて惨めな状態、滑稽な状態に見えたとしても、誰を(何を)パートナーとして選ぶ かを決めるのは、あくまで自分自身だ。「私の性は、私が決める」という性の自己決定原 則は、生涯を通して不変である。そして人生の最終ステージを誰と何と) 一緒に過ごす のかを決めることは、全ての人に与えられた最後にして最高の自由なのだから。P140~140(ここで述べられているパートナーとは人間だけでなく、メディア、グッズ等も指す)

介護現場での性的行動は問題行動として捉えられ、あってはならないもの、抑えるべきものと思われているが、あって当たり前のものとして肯定的に捉え、関係機関との連携、社会資源の活用という試みが行われているという。セクハラ行為のような性的問題行動を当事者からのメッセージとして支援者がその背景にあるものを理解していく必要がある。信頼関係の構築、マッサージ、清拭...などで性的欲求が満たされるというのはこうあって欲しいという支援者の希望的観測であるかもしれず、性的欲求の充足は健常者であっても難しいものであり、高齢者で介護状態にあり認知症を抱えている場合さらに難しいものである。筆者は結論として性に対する合理的配慮」の徹底をあげている。例えば触らせてあげる等の施し的なものではない。日々の生活のプライバシーの確保や自慰行為の支援を通じて必要最低限の性の健康と権利の確保が現場で求められているという。

シュカ's MEMO 介護施設で、利用者からの性的発言や、触る、見せるなどの行為の現場に当たったことは一度二度ではありません。そう考えると、高齢者の性的欲求はあって当たり前という解説が良くわかります。抑圧すべきものではなく、人間としてそういう欲求があることを、まずは認める意識で臨みたいと思います。ただ、受け流す以外の対応は難しいですよね。職員へではなく、利用者が利用者へ、という場合は更に難しいです。触る等は注意してやめてもらう対応を現在取っていますが、では、その気持ちはどこへ持って行き、どのように対処するかということについて、臨機応変に出来ないな、と感じます。筆者も健常者でも難しい性的欲求の処理はまして高齢者、認知症当事者への対応支援は難しいというのはよくわかります。色々な成功事例等を知りたいと思います。