介護士シュカの読書メモ

認知症、介護の本etc... 読んでみた

『シンクロと自由』

 

面白い本です。介護の本というジャンルに入ると思いますが、こういうケアをするとよいというような内容ではありません。こういう人がいて、それを巡る一連の出来事というより感じです。

介護をするという中は、家族、職員等の介護する側の「都合」が介在しているものだと改めて感じました。

介護される人は自分の世界を生きていています。周囲が「徘徊」で行方不明として探し回り、見つかってよかったとお互い喜ぶかと思いきや、「先を急ぎます」と言われるというエピソードを読み、周囲からの見方と当事者の見方の相違を感じました。当事者はこの場合道に迷って困っている、帰れなくて不安になっている訳ではないのです。

また逆に帰りたい当時と帰らせられない介助者のについて書かれています。

ぼくたちの立場からすると、お爺さんを帰すわけにはいかないのである。あれやこれや 理由をつけて「帰すまい」とするぼくたちにお爺さんは怒り出してしまう。 居をお爺さんは了解できていた 「なぜ、自分の家に帰ることができないのか」「そもそも、あなたは何者か」「いったい何の権限があって私をここに引き止めるのか」「お願いだから帰してほしい」「お前たちは何様だ!」 ほとばしる感情にぼくたちは途方に暮れる。お爺さんの荒ぶる感情は認知症状ではない。「家に帰りたい」という気持ちに症状などない。 ぼくたちに突きつけられているのは、お爺さんの「家に帰りたい」にどう応えるのかである。 タイミングがずれてシンクロしそこなったときこそ、尊重すべき相手の輪郭が現れる。(P135-136)

荒ぶる感情は認知症状ではない、という部分にはっとさせられました。認知症だから、こちらは心配している、あなたのためを思ってやっているというような理由をつけていると思いました。

「それは、仕方のないことだった」 とお爺さん自身が 受け入れるまで付き合う姿勢がわたしたちには必要なのではないか。認知症状を理由に、その プロセスをショートカットしない態度が問われているように思える。(P136)

しかし、実際に帰るのは難しいものです。そこにどう妥協点を見出すか、というのが一緒に歩くより仕方ないと書かれているのがなるほどと感じました。よくある事例集等では、本人が納得いくまで話を聞くとか、徘徊に付き合って歩くとか、書いてありますが、毎回そうするのかとか、そのうち徘徊しなくなるのかとか、それでどうなるのか実際のところよくわからなかったのですが、1回だけの対応ではなく、繰り返す様子が書かれています。認知症状が段々と症状が進んでいく方(利用者ですらない)に接している様子も書かれていて、こういう時こうしたら良くなったという単純明快なことではなく、本人に自覚なくて介護保険の利用すらしていない、施設を利用しないで成り立っている一人暮らしについての章はとても興味深く感じました(第8章「たそがれるお爺さん」)。

ぼくの考える余白とはお年寄りの「繰り返し」に付き合うこと。(P265)

一人暮らしは困難になって来ているけれど、気を揉んで施設入所させるのではなく、浮遊しているように暮らしているという言葉が印象的です。

傍から見て危うい暮らしぶり=施主入所、保護が本人にとって果たして幸せなのだろうか?と感じることがあります。住居や食事、健康管理などの保証はされていますが、自由があると言えない暮らしになります。「シンクロと自由」というタイトルに深みを感じました。